いつもの仕事の日。出勤してシフトに入り、作業指示を受けて現場へ向かう。使いにくい工具があったり、設備の調子が悪かったり、何年も放置されている危険箇所があったりする。こうしたことについては、これまで何度も話し、書類に書き、改善を求めてきた。だが、何が変わっただろうか?結局、以前のまま何も変わっていない。だから自分たちでうまく折り合いをつけるしかない。仕事は勝手に片付いてはくれないのだから。
そんなとき、工場長や副工場長が私のところにやって来て、こう尋ねる。「どうだい、何か問題はあるかい?安全に通常の作業を行う上で、何か妨げになっていることはないかな?」
一見すると、これこそ絶好の機会に思える。たまっていた不満をすべて打ち明けるチャンスだ。しかし、私の頭に浮かぶのはまったく別の考えだ。「どうして急にそんなことを気にするのだろう?何かの監査だろうか?今ここで本当のことを話したら、後で自分が悪者にされるのではないか?あるいは職長が叱責されるのではないか?どうせ何も変わらないのに、わざわざ話す意味があるのだろうか?」 だから、「特に問題ありません。順調に作業しています」と答える方が楽なのだ。 問題を抱えていないわけではない。ただ、問題点を口にしても無駄に終わることが多く、時にはかえって自分の首を絞めることになると、これまでの経験で慣れっこになってしまっているのだ。
そもそも、私は不備について議論するために出勤しているのではない。私にはシフトの作業指示があり、ノルマがあり、自分が責任を持つ設備がある。自分の仕事をやり遂げ、五体満足で無事に家へ帰らなければならない。作業環境が理想とは程遠い部分があることなど、工場長に言われなくても自分が一番よく分かっている。 私は毎日この設備を使って作業しているのだ。どこで余計な力が必要になるか、どの工具が合っていないか、どこで作業がやりにくいか、そしてどこで特に注意しなければならないかを熟知している。中には慣れすぎてしまって、もはや問題だとすら感じなくなっていることもある。ただ、その状態でうまく作業する方法を身につけただけなのだ。
それなのに、突然「何を変えるべきか」と聞かれても、何から話せばいいのかすぐには見当もつかない。すべてを話すべきだろうか?だが、問題の半分はすでに朝礼やミーティングで話し合っている。残りの半分についても、職長や現場主任は把握している。なぜ同じことを繰り返さなければならないのか? そして何より、相手が本当に私の答えを聞きたいと思っているのかどうかを見極める必要がある。
もし経営陣が大勢の随行員を連れてやって来て、すぐ横に私の職長が立ち、周囲を他の管理職が取り囲んでいたら、とても本音で話す気にはなれない。私は明日もまたシフトに入り、同じ人たちと一緒に働き続けるのだから。 しかし、工場長や副工場長が私の直属の上司を伴わずに一人で歩み寄り、作業の状況について穏やかに尋ねてくる場合はまったく話が別だ。急かすことも、話を遮ることも、私が間違っている理由をその場で説明しようとすることもない。ただ質問をし、状況を理解しようと努めてくれる。
Nornickelでは、このような対話の機会をリーダーシップ安全パトロールと呼んでいる。これは「安全におけるリーダーシップ」プロジェクトのツールのひとつだ。そして現場の作業員である私にとって重要なのは、その名称ではなく、経営陣が私を監視・検査するためではなく、私が働いている環境を理解するために来てくれたという事実なのだ。 とはいえ、そのような状況であっても、たまっていた問題を最初からすべて打ち明けることはまずないだろう。あまりにも馴染みがない状況だからだ。まずは何か小さな問題をひとつ挙げてみて、相手の反応を見ることにしよう。犯人探しを始めないだろうか?「自分で直すべきだっただろう」と言われないだろうか?私が話したことで、結局は私自身に新たな作業指示が下るだけにならないだろうか?
もし経営陣が関心を示し、問題をメモして調査を約束してくれたなら、それはもちろん良いことだ。しかし、その時点では私にとってまだ何も変わっていない。そのような約束はこれまでにも聞いたことがある。 私にとって大切なのは、どれだけ熱心に耳を傾けてくれたかではなく、その対話の後に何が起きるかだ。 例えば、工具が使いにくいことや、設備がずっと前から修理を必要としていることを伝えたとしよう。問題が管理台帳に記録され、担当者が決まり、期限が設定された。そこまではいい。では、その先どうなるかを見てみよう。 問題が解決されれば素晴らしい。もし解決できないのであれば、せめてその理由と、いつ頃結果が出るのかを説明してほしい。私は何も、明日までにすべてを直してほしいと言っているわけではない。時にはそれが簡単ではないことも理解している。ただ、忘れ去られたり、十回も催促しなければならなかったりするのだけは避けてほしいのだ。 そして、実際に何かが改善されたのを目の当たりにすると、こちらの意識も変わってくる。「話した甲斐があった。次は別の問題についても話してみようか」と思えるようになるのだ。
もちろん、何年も何も変わらなかった職場で、一度の対話だけで「これからはすべてが変わる」と信じ込むことはできない。問題がどのように処理されるか、同僚たちが何と言っているか、正直に話したことで誰かが不利益を被っていないかをじっくり見極める。何しろ、私はこれからもこの人たちと一緒に働いていくのだから。 そして、問題が本当に解決され、声を上げたことで誰一人として処罰されないことが分かれば、私自身もより自由に発言できるようになる。工場長がやって来て質問するのを待つ必要はもうない。どこに問題があるのかを自分から伝え、時にはどうすれば改善できるかを提案することさえできる。なんだかんだ言って、ここで毎日作業しているのは私であり、パトロールの時だけ現場を見る人たちよりも私の方がよく知っていることもあるのだから。
突き詰めれば、私は経営陣から特別な関心を集めたいわけではない。私に必要なのは、正常に動く設備、整備された工具、明確な作業基準、そして余計なリスクを負わずに落ち着いて自分の仕事を遂行できる環境だ。そのために工場長へ現場の不備を伝える必要があるというなら、喜んでそうしよう。要は、それで実際に効果が出るかどうかだ。 私にとって、経営陣が何回パトロールを実施し、いくつの課題を台帳に記録したかはさほど重要ではない。重要なのは、その結果として現場がより安全に働ける場所になったかどうかだ。 もし安全になったと実感できれば、次に「何か問題はありますか?」と尋ねられたとき、私はもういつもの「特に問題ありません」という返事はしないかもしれない。